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YOGAと仏教合宿_2013年②

やっと続きを書きます。


前回、1年半前のが合宿でもサンガ先生は
「良い話を聞いた」という思い出を作って、ここに”それ”を置いて、帰らないで下さい。
と、おしゃっていた。

これは、耳が痛い。

私は、法話を聞くのが好きだし
インド哲学のお話を聞くのも好きだ。

その場で、良いことを聞いた、心が改まった、きっと明日から
正しい心で、毎日を送れるにちがいない!

そんな、”ふんわりした”高揚感は、
翌日の変わらない現状に、すぐに打ち消されるのが常だ。
会社で苦手な人は、苦手なまま
ちょっとした相手のミスにも、イライラが募る。

あれ、合宿でお聞きした、仏の教えはどこへいった?
ってな、繰り返し。

サンガ先生は、今回の合宿でも
先ず最初に、そのことをお話された。

「この研修で学んだことを、日常の生活の中で生かすことが出来なければ、意味がない」

「研修には、自分の意思できた。GWに他の人は遊んでいるが、私は勉強している。頑張っている、などと思うのであれば、傲慢である。誰に頼まれたのでもない、自分がやりたいことをやっているだけ」

サンガ先生は、いつも笑顔ですが
ときど~き、厳しいこともおっしゃります。
でも、その裏にある迷える人への愛情を感じます。
だから、言葉がこころに届くんだと思います。

さて迷える子羊?の私が合宿中、一番、はっとしたのは
慈悲のお話。

般若心経とは、①悟りをひらくための修行であり ②慈悲の実践である。
慈悲の実践とは?
→見返りを期待しないで、誰か(何か)のために行う行為である。


ふむふむ、なるほど。そうかそうか。
今回も「ふんわり」高揚感に包まれていた私(笑)

そこで、サンガ先生は、こうおしゃっる。

「では、今から、ここで、慈悲の実践を始めてください」

私「!」 えぇ、どうやって??です。
頭の中が真っ白になるとは、この瞬間でした。


「今から合宿が終わるまで、誰か1人を決めて、その人のことを思い、常に行動しなさい」
と。
対象は誰でも良いです。
その人によかれと思うことを、見返りを期待せず、やり続けて下さい。

それが、慈悲の実践の練習です。
そして、これを実社会でも行っていって下さい。


私、かなり動揺しました。
漠然と、、世界平和を祈ったり、募金をしたり、それならね。出来る。


サンガ先生は、先ずは周りの人を幸せにしなさい。
周りの人に対して、慈悲をはじめなさい。
とおっしゃる。

そうだよね。。

こう、具体的に実践の方法を教えてもらったのは、目からウロコ。
そして、目が覚めた思いでした。

それと、、、これは練習であって
本来の慈悲とは、と後ほどお話で

・一人に対しての思いは、愛情であり。
・森羅万象に対しての愛情が慈悲である。

ということでした。

そして、「慈悲がわからないのですが」という質問がありました。
それに対しては、
→学術的な説明をするなら10年はかかります。それに対して、実践は今すぐできます。
ならば、実践したほうがよい。


今回の合宿中、もう一つ行ったのが
「自分の念を作る」です。
「念」とは、信念と置き換えてもよいのですが、自分の気持ちの中からおこった、祈り、念。

サンガ先生は
「念がなければ、自分の人生も意味が無くなる」とまでおしゃっていました。

今回は、この合宿中だけの念でもよいし、これからの人生の念でもよい、とにかく作ってみる。
ただ、人に嫌な思いをさせるよな否定的な念はしてはいけない。
「自分の言葉で考えなさい」とも言われました。


人というのは、「自分の言葉」「自分の字」でなければいけない。
自分の実践の中からでてくる言葉にこそ力がある。
「人の言葉」を借りてきてはいけない、自分の感情を伴わない言葉はむなしいだけである。
自分の思いを伝えたい時、それはつたなくてもよいから、自分の言葉で伝えるものだ。

ここで、facebookの「いいね」も、人の言葉を使っているようなものだ。っておっしゃったのが印象深いです。
まぁ、私も「いいね」押しますけど。。あは。


まとまりなくなりましたが・・・
「念」に戻りますと

お経を唱えるときも
「心と体と念」3つが1つになって初めてお経になる。
口(体)では、お経を唱えながら、心は自宅に戻っている、ような状態であれば
体を心の状態に合わせて、自宅に帰ったほうがよいのでは?
ということです。
ふふ、ちょいちょい厳しい。


私も、人生の念となるかはわかりませんが
これから、しばらく続けていけるであろう「念」を作りました。
合宿から一ヶ月経ちますが、朝のYOGAの終わりや、就寝時、一日の終わりに唱えるようにしています。
唱えるのは、忘れるのを防止するためです。
唱えりゃいいってもんじゃないです(笑)


その念に反した行動をとっていないか、
三位一体(身口意)となっているのか、それが日常というか
修行でしょうか。


私は頭固いので、「哲学的な念」なんぞを求めちゃいますが

サンガ先生いわく
「家族に美味しい食事を作る」とか、そういう念でもいいんですよ。とのこと。です。



まだまだ、なるほどな~って思ったことが
沢山あるのですが

「供養」の本来の意味や「自我」と「自己」
「悪い宗教にはまってしまうのは何故か」とか


また、続く③で。


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