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YOGAと仏教合宿_2013③


合宿は4月末だったな。
今は、もう6月も半ばか。。。


YOGAでも哲学でもアーユルヴェーダ、宗教でも
師を得て、学ぶ。

しかし、師はどのように探せばよいのか?
また、それが真の師となるのか、どう判断するのか。

少し前は、よく思ってたことです。
今回は、”自我と自己”のお話の中で、その答えをもらいました。

>師をどのように探すか?
については、真にその人が願い、学びたいと思えば
何らかの力によって、出会えるものだ。と、、、、経験上、思います。
もちろん、探す努力を怠ってはいけませんが。

サンカルパ。というサンスクリット語がありますが
「ただ、願えばいい」
それが、カリ・ユガ(末法思想とでも言い換えますか?)という今の時代にあったやり方だそうです。
(これは、インド哲学から)

私は、先ずは願う。
それは、サンガ先生のおしゃった「念」と同じことなのではと思います。

「念」をもつということは、全ての行為を意識的に行うことに通じていきます。

全ての行為を意識とともに行えるなら
それは、悟りをえる。
とインド哲学で勉強しましたから。

「ただ願う」といのも、奥が深い言葉なのでは、、、
なんて、思います。


------------------------------------------------------


一人の人間の中で2つの自分をもっている。

自我・・エゴ。表に現れている意識。執着。
自己・・潜在的な意識。人間を人間たらしめるもの。

自我の壁をとりはらうには、
先ずは自分が執着の中で生きていることを認めること。
自我は絶対に満たされることがない。人間の欲望、執着は限りないから。

自己は、自分の中にあることを先ず見つけ出してください。そして実感してください。
実感できた後、磨くことが大切である。


ここで、質問。

◎悪い宗教にはまってしまうのは何故か?
→自分の自我にとって都合のよい、自我が満たされるものを選んだから。

本来の宗教とは、信仰とは
自分の内なる意識(自己)を向上するための手段である。
自己を左右するもの。

自我の言葉に耳を傾けてはいけなかったんですね。


さて、供養とは?
供に養う。と書きます。

今回の合宿の最後の勉強会では
どう考え、この3日で何が変わったと思うか。など皆で話しました。

30人近い人数の意見を聞き、自分の言葉を明確にしたり
自分にはない意見をきいて、気づかされたり
これこそ、供に養う姿だと、サンガ先生はおっしゃいました。

供養とは、サットサンガであり
お互いにお互いを養う、一人一人、寄り添って生きる。

その気持ちをもって、日常生活にあたれば
慈悲の気持ちになっていく。


-----------------------------------------------------------

以上が、合宿でのお話のエッセンス。

六波羅蜜とは?
なんてものもありましたが、
そういったことは、専門書におまかせします。

供養というと、先祖供養しか思い浮かばなかったのが
サットサンガであり、それが慈悲の実践になるとは。

美しい考えにふれると
こころを潤うのです。


新緑の緑に囲まれ
充実の合宿でした。


さて、慈悲の実践はできてるのかい?わたし。。
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